兼六園の見どころ~どうして兼六園というのか?~

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旅行

こんにちはmizuです!

金沢といえば、国指定特別名勝であり日本三名園の「兼六園」春はサクラ、初夏のカキツバタ、秋の紅葉、冬の雪吊りと、四季折々の美しさが訪れる人を魅了します。ミシュランの観光版で最高ランクの三ツ星を獲得して、海外からも人気のスポットです!

兼六園の見どころ!!

様々な景観が楽しめる兼六園の見どころをご紹介します。

日本最古の噴水

雁行橋

11枚の赤戸室石を使って雁が列をなして飛んでいる姿に作られているので雁行橋と呼んでいます。

時雨亭(しぐれてい)

5代藩主である綱紀が「蓮池園」を作った頃からあった建物で、蓮池御亭と呼ばれていました。現在あるものは2000年3月にこの地に再現されたものです。

夕顔亭

園内に現存する最も古い建物で、1774年に建てられた茶室です。茶席の次の間の袖壁に夕顔の透しがあるので夕顔と名付けられました。

四季折々に変化する兼六園はいつ行っても楽しむことが、様々な景観を私たちに見せてくれます。そんな兼六園は一体いつから出来たのでしょうか?

兼六園の歴史

兼六園は1676年、加賀藩主の4代である前田綱紀が、金沢に面する傾斜地にあった作事所を城内に移し、その跡地に自身の別荘を建てて、その周りを庭園化したのが始まりだといわれています。当時は、美しい蓮の花が咲いていたことから、「蓮池庭」と呼ばれていました。

ここから、長い年月をかけて今の兼六園のように一大庭園となっていきます!

その美しい蓮の花や紅葉などの鑑賞や宴をする場として、来藩した客人や重臣たちの接待をする場所として使用されていました。しかし、1759年の大火で焼失してしまいました。

その後、1774年に加賀藩10代藩主である前田治脩(はるなが)によって蓮池庭が再興されました。治脩は1774年に翠滝(みどりたき)と夕顔亭、2年後の1776年に内橋亭を造り、整備・増設されました。

藩主により姿を変える兼六園

10代藩主の治脩は再興した後に、蓮池庭上部にある平坦な場所で当時は空き地になっていた千歳台に藩校である明倫堂と経武館を建設しました。

11代の斉広(なりなが)は藩校を旧奥村邸跡に移し、自らの隠居所となる「竹沢御殿」を建築しました。

12代の斉泰(なりやす)は「竹沢御殿」を取り壊して霞ヶ池を掘り広げたり、栄螺山を築いたり、姿形の良い木を植えるなどして庭を拡張・整備しました。蓮池庭との間にあった塀を取り壊して、現在の形に近い庭園を築きました。

その後、1874年に藩主の庭であった「兼六園」は一般公開されるようになりました。

兼六園という名前の由来

1822年に前田斉広(なりなが)の依頼で白河藩主であった松平定信が命名しました。中国の宋の詩人である、李格非の洛陽名園記の中で中国洛陽の名園・湖園を「宏大(こうだい)・幽邃(ゆうすい)・人力(じんりき)・蒼古(そうこ)・水泉(すいせん)・眺望(ちょうぼう)の六つを兼ね備える名園」と評価しています。これをすぐれた景観の代名詞として「六勝(ろくしょう)」と言います。

すばらしい景観を持した庭園として賞された湖園。この湖園に似つかわしく、六勝を兼ね備えているという理由から、「兼六園」と名付けられました。

まとめ

今では、全国そして海外からも観光客が訪れる兼六園。歴史を知ると見方も変わりさらに楽しく観光ができると思います。季節によって様変わりする兼六園を訪れてみてはいかがでしょうか?

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