蘇った鉄門と舞鶴城公園

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山梨名物のほうとうです!とても美味しかったです! 山梨

こんにちはmizuです!

山梨といえば、フルーツ狩やワイン、秋の紅葉、グルメなど様々な楽しみ方、美味しいものがあると思います。その中で、一番の人気といえば武田信玄でしょう!

その武田信玄が居城としていた躑躅ヶ崎館から城下町を移した甲府城。甲府城とともに発展してきた山梨をみていきましょう!!

甲府城の歴史

1582年に戦国大名の武田氏滅亡後、甲斐の国は、織田信長の領国となり、本能寺の変の後は徳川家康の支配下に置かれました。

しかし、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げると、秀吉の命により甥の羽柴秀勝と腹心の部下である加藤光泰らによって築城が始められ、浅野長政・幸長父子の手により完成をみました。1600年の関ヶ原の戦い以降は再び徳川家の城となり、幕末まで城の歴史は存続しました。

舞鶴城は江戸時代の初め、将軍家一門が城主となる特別な城でしたが、1704年に徳川綱豊が第5代将軍徳川綱吉の養子となり江戸城へ移り住むと、武田氏ゆかりの柳沢吉保が城主となり、子の吉里いいたるまで約20年間甲斐の国をおさめました。この間に大名の城として最も整備され、城下町とともに大きく発展しました。

しかし、柳沢氏が大和郡山城主として転封されると、甲斐の国は幕府の直轄地となり、甲府勤番の支配下に置かれることとなりました。しかし、享保年間の大火により本丸御殿や銅門などを焼失、壮麗な姿は失われていきました。

舞鶴城の由来

現在、舞鶴城公園として親しまれている甲府城跡ですが、舞鶴城という名称はなぜ付けられたのでしょうか。

舞鶴城という名はいつのころからか白壁が重なりあう優雅な姿から、鶴が舞う雄大な姿を連想して付けられたものと考えられています。

甲府城と鉄門(くろがねもん)の歴史

蘇った鉄門です。

甲府城跡は、豊臣秀吉の命により文禄・慶長年間(1590年)に築城された城郭です。城内に残る築城当時の野良積み石垣は、全国的に見ても文化財的価値が高く評価されるものです。しかし、歴史的建造物は明治初年の廃城後に取り壊されてしまいました。

鉄門は、本丸と天守曲輪の境に建てられていた櫓門です。創建は、礎石に確認できる甲府城築城期の矢穴や江戸初期に描かれた絵図から、築城当初から存在していたと考えられています。

鉄門という名称は、柳沢文庫所蔵「楽只堂年録(らくしどうねんろく)」に「元ノ南門」にとあり、1706年に柳沢氏が実施した城内の建物・曲輪の名称変更によって「鉄門」となったことがわかります。

1727年の甲府大火において焼失を免れた鉄門は、屋根瓦の葺き替えなどは行っているものの、大きな修理をおこなった記録は確認されていないことから創建時の姿を明治初年まで保っていたと考えられています。

そして、廃城から約140年の時を経て、鉄門が復元整備されました。

舞鶴城公園としての歩み

甲府城は明治に入り、徳川時代の面影を大幅に失うこととなり、残された城跡が1904年に「舞鶴公園」として開放されました。

県借用地であった舞鶴公園は、1917年に正式に払い下げを受け県所有地となりました。1928年の甲府中学校の転移に伴い、旧追手役宅跡にあった県庁舎や県会議事堂が建設され、同時にその西側、南側の堀は完全に埋められました。

その後、甲府市が戦後の荒廃した市街地のの復興に併せて公園整備を進め、1964には、甲府市の申請に基づき都市公園「舞鶴城公園」として都市計画決定され、以後広く県民の利用が促進、整備されました。

そして、現在の形となっています。

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