山形の歴史観光 ~羽州の名城 上山城~

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旅行

こんにちはmizuです!

今回は山形県に旅行に行った際に観光した歴史のスポットをご紹介します。

羽州の名城と呼ばれた 上山城

南北朝時代、天童頼直の子である上山満長が上山に配されたことに始まります。1508年に伊達氏がこの地を攻め落とし、伊達家臣がこの地に入りました。1520年、の死去に伴う混乱に乗じて義房が兵を挙げるものの伊達 稙宗(だて たねむね)と戦って討死にします。その後、武衛義忠が奪還します。

そして、上山(かみのやま)城は、1535年に武衛義忠が月岡・天神森に築いたとされています。戦国時代は最上氏の最南端の城塞であり、米沢の伊達氏や上杉氏との攻防の舞台となりました。江戸時代、最上家の改易の後、没落した諸大名が3万石から4万石で歴代藩主の居城となりますが、城下町まで含めた整備がなされたのは土岐氏の政治下で、当時の壮麗な城郭は「羽州の名城」として知られました。しかし、1692年、土岐氏の転封とともに、幕命により取り壊され、現在は堀跡の一部が当時の名残をとどめています。

現在の上山城は、1982年、外観が城郭風建築の郷土歴史資料館として290年ぶりに再建されたものです。

日本でも屈指の広さ 山形城

霞城公園は、かつて山形城、別名霞城(かじょう)があった山形市の中心部にある城址公園です。江戸時代には山形城で、山形藩の政庁が置かれていましたが、明治以降は山形歩兵第三十二連隊の敷地として使われました。戦後は、山形市に払い下げられ、1949年に霞城公園として開園しています。

山形城は、羽州探題という役職で山形に入った斯波兼頼(最上家初代)が、1356年の年に築城したとされるのが始まりです。1500年代後半には、第11代城主最上義光により、現在の形に。本丸・二ノ丸・三ノ丸の三重の堀と土塁により囲まれている輪郭式の平城となり、慶長出羽合戦の戦功により出羽57万石の本城となります。

日本国内では5番目の広さであり規模も大きいお城です。石垣などが美しく復元されていることが認められ、映画「超高速!参勤交代」ではロケ地に使われました。

山形城は別名があり、霞城あるいは霞ヶ城(かすみがじょう)と呼ばれています。出羽の関ヶ原合戦である長谷堂合戦では、城郭が霞で隠れて見えなかった事が、この名前の由来です。

こちらは、最上義光像です。最上義光は出羽山形藩の11代当主、現在の山形城を築きました。長谷堂合戦において、米沢藩の直江兼続率いる米沢藩の軍を撃退した際の姿を現しています。

少し遠いですが、勇ましい姿がかっこいいですね!

最上義光歴史館

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二の丸東大手門を渡り、すぐに見えて来るのは最上義光歴史館。山形城の最盛期を迎え、さらに長谷堂合戦で勇敢な戦いをした義光という人物は山形市民にとって、ヒーローのような存在でもあります。最上氏や山形の歴史を学ぶ事ができるため、ぜひ寄ってみましょう。


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