知れば観光がもっと楽しくなる!?~厳島神社の歴史を1分で解説~

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広島

世界文化遺産に登録されている宮島。日本三景の一つとなっており、見るものを魅了する厳島神社。毎年多くの観光客が訪れていますが、どのようにして出来たのでしょうか?

きっと歴史を知ればより一層、楽しく観光ができます!

今回は厳島神社の歴史について簡単にご紹介したいと思います!

ちなみに、大鳥居は日本三大鳥居の一つ、平舞台は日本三舞台の一つに数えられています!すごいですね~。

始まり~厳島神社の創建~

厳島神社の歴史は古く約1400年前、推古天皇の時代まで遡ります。

593年に広島県・宮島の地域を治めていた豪族の「佐伯鞍職(さえきのくらもと)」が「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」神託を受けて

大神様が高天原から連れてきた神鴉の先導のもとで御祭神と島々を巡り現在地の御社殿を【創建】した。

と記されています。

厳島神社の社名も「いちきしま」が転じたという説もあります!

祀られている三女神

  • 「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」
  • 田心姫命(たごりひめのみこと)
  • 湍津姫命(たぎつひめのみこと)

この三女神はアマテラスとスサノオの誓約で生まれた女神で航海・交通の安全を祈願する女神として崇拝されています!

平清盛により全国に名が広まった?

厳島神社が全国に知られるようになったのは、平家一門の栄華を極めた「平清盛(たいらのきよもり)」の影響です。

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当時、安芸守であった平清盛が厳島神社を崇拝することとなります。そして、1168年頃に現在の姿である寝殿造へと増設・改装しました。

その後は、平家一門の隆盛とともに

後白河法王」や「高倉上皇」をはじめとし多くの貴族や皇族に参拝されることとなり、また、平家滅亡後も時の権力者の崇拝を受けることとなります。

「平清盛」の時代に名前は全国に知れ渡るようになりました!

戦場にもなった厳島神社

厳島神社は二度の建物が全焼する程の火災に見舞われ建物が焼失しました。しかし、そのたびに再建されてきました。

戦国時代には激戦地の舞台にもなっています。それが、「毛利元就(もうりもとなり)」と「陶晴賢(するはるかた)」との間で行われた日本三大奇襲にも数えられる「厳島の戦い」です。激戦となりましたが、毛利元就が勝利しました。

元就は、戦後一帯を支配し社殿を修復し、崇拝しました。

天下人の豊臣秀吉も参拝した

豊臣秀吉も九州遠征の際に厳島神社を参拝したと伝わっています。また、千畳閣の造営を行っています。

厳島神社の歴史【江戸時代から明治時代】

江戸時代には厳島神社は権力者のみならず、民衆からも崇拝されます。

江戸時代には厳島詣が広がり、伊勢詣や四国遍路などと並んで西国の代表的な旅行となりました。これにより門前町や周辺は栄えることとなりました。

明治時代には「明治天皇」が太刀を奉納されており、皇族から民衆まで幅広く厳島神社は信仰の対象となっていきました!

こんな伝説も?

実は平清盛はペルシャ人で同じペルシャ人であった聖徳太子のために厳島神社を造ったのではと言われています。理由が現在にも伝わる「抜頭」です。これが、聖徳太子のことを言っているのでは?と。

これは厳島神社の神職に伝わる舞です。舞楽は単に舞うだけではなく、物語があり、その内容を舞で表現します。

その物語とは「西域の胡人(ペルシャ人)が猛獣に父をかみ殺されたので、山に入りその猛獣を見つけて復讐をする」というものです。

この抜頭が異国人と思しきお面を付けて舞われます。

他にも

  • もともと祀られていた「弁財天」がペルシャ地方のゾロアーク教の海の女神、アナーヒタではと言われています。
  • 厳島神社が北西を向いていて、水辺に建てられてゾロアーク教の寺院と同じ造りをしている。
  • 厳島神社は、平清盛により現在の建築様式が確立されましたが奈良興福寺の「大乗院寺社雑事記」には、「外来人が営む蔵が京都三条坊門にある。彼らは外国との貿易などをしているが、そのことごとくは「”平”の性」を名乗っている」という記述があります。
  • 抜頭」を踊っていたのが渡来人であった「秦河勝(はたのかわかつ)」の子孫であったこと。

など、様々な理由があります!

まとめ

いかがでしたでしょうか?

厳島神社は名立たる権力者に信仰されており、また信仰した人物が成功を収めていることより御利益があるともされています!

ぜひ、厳島神社にまつわる歴史を思い浮かべながら厳島神社観光を楽しんでみて下さいね!

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